■会社概要

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社名

八州スペースコンサル株式会社

代表者名

對馬 敏文

所在地(本社)

〒039-1527
青森県三戸郡五戸町大字扇田字西ノ沢9-118
電話 0178-67-2000  FAX 0178-67-2001

営業所

八戸・津軽

資本金

1000万

登録・入会

測量業(建設大臣登録)第(1)-25072
建築設計事務所(知事登録)A2第1799号
青森県屋外広告美術業組合員
社団法人地盤工学特別会員
社団法人日本測量協会特別会員

取引銀行

青森銀行五戸支店
みちのく銀行五戸支店
八戸信用銀行五戸支店


 ■営業項目

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□技術管理部

○一般地上測量○土質試験○水文調査○開発計画○設計管理○施工管理○確認申請業務○土地家屋調査

□遺跡調査補助業務

○遺跡調査に伴う基準点・メッシュ杭の設置○等高線測量○遺構実測○空中写真撮影(エレベーターポールレンタル)○遺構図デジタルトレース(紙図面→デジタルデータ化)○図版デジタル編集○土層転写及び保存処理・土層パネル製作

□文化事業部

○企画展示(企画提案・デザイン・展示工事)○パネル製作○案内板製作○画像処理○模型・ジオラマ・モニュメントなどの造形物製作

□出力サービス

○大判出力サービス○ラミネート加工○パネル加工○アルミフレーム加工○タペストリー加工

□代理店販売

○陶芸用品材料(日本電産シンポ株式会社)○アイシン精機株式会社○保存処理材料販売(三恒商事株式会社)○造形材料各種


 ■有資格

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都市計画宅造設計資格

消防設備点検資格

一級建築施工管理技師

二級管工事施工管理技師

浄化槽設備士

測量士

測量士補

二級土木施工管理技師

屋外広告士

学芸員



 ■沿 革

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昭和54年3月

青森県三戸郡五戸町字新町31-2番地にて営業開始

昭和61年5月

青森県三戸郡五戸町大字豊間内字地蔵平1-900へ本社移転

昭和61年8月

有限会社八州コンサルタントを設立、資本金500万円

昭和63年2月

八戸市尻内町鴨池96 三戸郡町村会館3階に電産技術部を新設

昭和63年10月

五戸本社事務所内に土質試験室を新設

平成元年12月

展示業務拡充の為地蔵平2-3に模型工房(工作・模型パーツ・加工)を開設

平成2年4月

資本金1000万円に増資

平成2年7月

組織変更に伴い、株式会社八州コンサルタントに社名変更

平成3年11月

同地区扇田西ノ沢9-117に第2工房設置

平成5年4月

新潟営業所を開設

平成5年11月

電産技術部を五戸本社事務所内に移す

平成6年5月

開発・企画・調査の技術向上に伴いフォトバルーンシステム一式を導入

平成7年12月

五戸町大字扇田字西ノ沢に本社移転。コンピュータグラフィックサービスを開始

平成8年5月

企画サービス拡充のため、富士ゼロックス大型プリンターハンビックシステムを導入

平成9年4月

陶芸用器材、粘土等の販売開始 日本電産シンポ株式会社の販売代理店となる

平成9年5月

仙台市青葉区柏木1-2-38柏木丁ビル4Fに仙台営業所を開設

平成9年9月

社名変更により、八州スペースコンサル株式会社となる

平成10年2月

ミマキエンジニアリング大型インクジェットプリンター導入

平成10年3月

青森市長島3-7-12に青森営業所を開設

新潟営業所を撤退

平成10年9月

五戸町扇田字西ノ沢20-1五戸青空自由市場にリサイクルセンターを開設

平成11年3月

災害時人命救助システム特許登録・販売開始

平成11年4月

八戸市大字田面木字松長根20-4に八戸営業所を開設

平成12年1月

県公認古物流通市場「公認古物市場 北東北物流センター」の開設許可取得

平成14年4月

遺跡調査システムの販売を開始 アイシン精機株式会社の販売代理店となる

平成14年6月

仙台営業所撤退

平成14年11月

千葉市中央区千葉港4-3千葉県経営者会館5Fに東京営業所を開設

平成15年1月

青森営業所撤退

平成16年11月

東京営業所撤退


 ■ご挨拶

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八州スペースコンサル株式会社 取締役代表 對 馬 善 二

 日本国が第2次世界大戦終戦の後、全国民が一丸となり努力し、一面の焦土となった祖国を世界有数の経済大国にまで国力を回復させた驚異的な経済成長の最盛期。昭和50年代初頭、国内は強大な建設開発予算を背景に、官民共に殊に営利企業各社は工事費の獲得に躍起となり、それが国を挙げての建設ブームに拍車を掛けていた。
 当社も、有史以来、未曾有の経済成長期に便乗して、当時の日本には職業として認められていなかった建設工事施工管理コンサルタント業を事業化し、二、三人の有志が集い、エンジニアリング八州コンサルタントとして命名しミニ組織を結成した。
 当初は、大手ゼネコンの協力業者として、ゼネコンの受注工事獲得のためのプレゼンテーションとしての開発基本計画の策定、企画提案、測量と基本調査、開発アイディアと事業計画、設計監理、施工管理、パースや模型の制作、工事会社の社員に対する技術指導、研修の講義などの業務を行い、建設業界の技術向上に貢献してきたが、殊に当時、建設業界では営利企業には適さないとされ、建設業者は振り向くことさえもなかった文化事業の領域に手をつけた。
 当初、会社のイメージアップのための、ステータスとしてだけの目的で始めた事業であったが、遺跡の補助業務、調査資料の整理と保存処理技術の習得、展示物としての処理技術、資料館や博物館の展示計画や展示業務、イベントの企画や会場設営まで手がけるようになって、ようやく会社も社会の片隅に居て、地域の振興や文化の保全、社会教育に微少ながらも貢献してきた実感を得てきた。
 当社は、社員一同力を合わせ、営利事業としての会社の利潤を追求しながら、これらの実績と積み上げて会得してきた特殊なノウハウを以て、この先も地域の文化と経済の発展に微力ながらも貢献して参りたいと願っております。